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ゾウのおなかの中でみた景色。

夏休みがも残す所すくなくなってきている。


娘はどっちにしても毎日学童で学校にいっているので大差はないようで、


学校が始まる事自体苦痛ではないらしい。うれしいくらいだ、と言う。


すごいと思う。私はそうじゃなかった。8月も20日を過ぎると気分がが悪くなった。


夏休み明けということに関わらずだったけれども。


学校が嫌いという訳ではなかったと思う。


学校に行く事が当たり前と思えずに、働いた分だけお金がもらえるアルバイトと違って


逆にお金を払ってまで行く場所に意味が無いように思い込んでいた不熱意な子供だった。


小学校も中学校も高校も。よくサボった。かなりサボった(笑)。


高校が一番ひどかったと思う。家を出て、電車か自転車で学校の近くまで行くのに


学校には行かなかったことが多かった。


学校近くの手作りパン屋にいってパンを買い、ゾウ公園ばかりに行っていた。



ゾウ公園は私がただそう呼んでいただけだけれども、


神社の境内の横にあって大きな楠がうっそうとした感じで影を作ってぼんやりと暗かった。


その中にぽつんと、石でできたグレーのゾウの滑り台のあるだけ。


(あるいはそれ以外のものは私の記憶にはないだけかもしれない)ちいさな公園は


いつもほとんど人がいなかったように思う。記憶の中に人はいない。


ゾウの滑り台のおなかの部分はトンネルのようになっていて、ひんやりしていた。


ちいさな土管のような感じ。


私はそのトンネルの中に座り込んでよくパンを食べて、本を読んだ。


友達と一緒の時もあったけれど、たいていは一人で。


高校時代を思い出すとまず浮かび上がるのは、


ゾウのおなかのひんやりとした石の冷たさと、外から聴こえる反響する音や、


ロンドンの粉砂糖がいっぱいついたあんドーナツと、その油がいつもついてしまう文庫本。


トンネルから見える縦に丸い切り取った景色。


空の青、楠の緑、神社の鳥居の赤、土の薄茶色。


修学旅行のことなんて何も覚えていないくらいそのすべては記憶力の悪い私でも、


その事はかなり鮮明に覚えている。


なのにでも、とても残念だけれど、そこで高校生の私が何を思って、


何を感じて、何を考えていたのかはよく覚えてない。



高校3年の3学期に、美術と現国以外の教科の出席日数危険宣告を各先生から受けた。


担任によると3年の3学期の時点で高校生活総合で100日休んでいたらしかった。


びっくりした。高校2年から週2回通っていた美術の専門学校や


ファーストフードのアルバイトは休んだ事なかったのに。


ちりも積もればだなぁと感心したような気がする。


その証拠にそれまで誰も私の休んでいる事に何も言わなかったから。


親も知らなかったと笑っていた。


それから毎日学校に行き、放課後は私のような人達の為の補習を受け、


グラウンドを何週も走った(体育の単位が一番危なかった)のをぼんやり覚えている。


ゾウ公園の次に浮かぶ高校の思い出(のようなもの)。


なんとか卒業はできたが、それ以来ゾウ公園には行っていない。



なぜそんなことを思い出したかと言うと、夏休みの終わりのせいもあるけれど


きっと昨日、川上弘美の「光ってみえるもの、あれは」を読んだからだ。


高校生の男の子が主人公。なかなか複雑で面白い家庭で育った彼は、


くるくると頭の中で考えることと言葉が繋がらない。


言葉が発する意味を恐れる。発した言葉の責任を恐れる。


家族(祖母・母・生物学上の父親)にも、なにかを打ち破ろうとする友達にも、


かわいい彼女にさえも。


でも彼はただ、いろんなことがわからずに自信がなかったのかもしれない。


「自分が生まれて、生きていく意味を考え、愛され、愛する事の意味を考える」、


ということを「考える事」として捉えるようになる事を、自分の中を探していたのかもしれない。



私もそんな風だったのかなぁと思った。


生きていく意味を探す事を、探していたのかもしれない。


残念ながら私は、彼のようにそれを打破する何かを感じることなく、


自分のなかに、「ぼやぼや」したものを持ったまま高校を卒業してしまった。


のちに私を1冊の本が、「ぼやぼや」したもの打破しようとする気持ちに


気がつかせてくれたのは20歳の時だった。


もう少しそれが早かったらなにか変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。


気がついても、それを実践しなかったようにも思うから。



本の中の彼は、これからなにかを探していくのだろうなぁと思う。


しんどいだろうけれど、いいな、と思う。


高校の時の私が、この「光ってみえるもの、あれは」を読んだらどう思っただろう。


自分の中の高校生の私が何を考えていたのか、自分の事だけれどまったくわからない。


ひとつ確かなのは今の自分が、昔の自分と話をしたら


たぶんかなりムカツクのは間違いないと思う(笑)。


それに言えることはきっと多くない。


でも、ただ一言、彼女にこれだけは言ってあげたい。


「きっと大丈夫。」


それくらいしか、今の私はまだ言えないし、今の私もそれを信じたいから。










光ってみえるもの、あれは光ってみえるもの、あれは
川上 弘美 (2003/09/10)
中央公論新社

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本。 | コメント(4) | トラックバック(0)2006/08/20(日)10:34

コメント

公園にドカン

この記事、良かったです。ぼくが子どもの頃いつも遊んだ公園にも、ドカンがふたつありました。
どらえもんの公園もそうですが、ドカンがあればそれで充分でした。上にのぼることと、中をくぐること、それ以上のことは、ぼくたちの想像力の中に全部ありましたから。

rie。さんの過去の話、いいですね。

2006/08/20(日)14:19| URL | M #- [ 編集]

こんにちは

私もそれを信じています。

そして、どの道を選んでも、
思い描いた場所に辿り着けると信じています。

2006/08/23(水)21:28| URL | 釣志(ちょうじ) #HCI4rwHI [ 編集]

過去のこと。

不思議とあのゾウのおなかの中は安心できる場所でした。
ドカンが近くにあったなら、そっちを選んだのかもしれません。あの場所で考えていた事は覚えていなくても、今の私を形作ったものがきっとあったのだと思います。

2006/08/24(木)22:34| URL | rie。>Mさん。 #- [ 編集]

道。

自分で歩いてきた道は、流されて生きたようでも、自分で選んできたものが大半なのですよね。
これからもその道を止まる事なく、歩いていくのだろうと思います。

2006/08/24(木)22:39| URL | rie。>釣志さん。 #- [ 編集]

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