スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告--/--/--(--)--:--

青い花があるだけで。

近くにポニーがいる花屋さんが来る。


週2回遠くから、車にポニーの「うめちゃん」と、きれいな花を乗せてくる。


「うめちゃん」はみんなの人気者で。


たまに噛むけど。たまに蹴るけど(笑)。



いつも「うめちゃん」に会いに行くだけだったけれど


今日はデルフィニュームを買った。


透き通るような薄青がきれい。


花を2本買うだけで、こんなに気持ちよくなるの忘れてた。



気持ちがいいから、気持ちのよい本を読んだ。


東君平の「心のぼたん」。


東さんのおとぎ話も好きだけれど、


詩もよくて。その中でも、これがとても好き。



「雀と私」



雀が どんな思いで生きているのか


私には わかりません



私が どんな思いで生きているのか


雀には たぶん わかりません



わからない同士でも


青空の下は お互いに好きなのだ





心の奥が、しみじみ、となるのがわかる。


なにかが、ぐん、っと近付くような感じ。


青い空のようなデルフィニューム。


透明のピッチャーにさしているから、茎までがきれいに見えて。


来週も「うめちゃん」の店で、きれいな花を買おうと思う。


なんの花を連れてきてくれるかな。


心のボタン / 東 君平



 


 

スポンサーサイト


本。 | コメント(0) | トラックバック(0)2006/08/31(木)00:07

目の奥に残る花火の光。

青暗い静かな公園で花火をした。


風が強く、煙が空を包んでしまった。空高く白く。


 


びゅー、っとしたのや、ぱちっ、としたのや


しゅわしゅわ、っとしたのや、ちろちろ、っとした、


赤や青や緑や白や黄色の眩しい光が


目の奥に鈍く白青緑に焼きついて。




帰り道は風がひんやりとし、虫の声があふれてた。


 


 夏が終わるね、と声に出して言ってみる。 


足元のビーチサンダルが、ぺたぺた、っと答えた。


楽しかったような、でももう寂しいような、娘の手の握り方だった。





ひとりごと。 | コメント(4) | トラックバック(0)2006/08/28(月)00:40

変化し続けるもの。

上海に行ってきた。短い出張。



上海。


街中いたるところで高層ビルが建築中だった。


だけれども足場は竹で組まれていた。


2年前より自転車が減り、車とバイクと観光客であふれていた。


上海の全域で節電がかなり厳しく義務付けられているにも関わらず、


観光スポットでは逆に、オフィスであろうが、なにであろうが、


一晩中ライトアップすることも決められているのだという。


街からはパワーを感じるのだけれども、何故か人からのパワーを感じない。


明るい人はとことん明るく、うつむく人は翳りさらに俯く。


怒鳴り声とクラクションは聞こえるけれど、笑い声は聞こえない。


笑顔の人が、こんなに少ない街はあるのだろうか?といつも思う。


ホテルでも、お店でも、街を歩く人も、子供も、大人も。



不思議な国。上海。





変化し続ける街であろうと思う。


でも残されている人が大半であって、なにかが狂っているように感じる。


変化についていけていない人がほとんどだろうとも思う。



変わり続けていくことの難しさ。


全速力で振り返る事なく自分の住む街が日々変わっていくということは、


どのような気持ちがするのだろう?




私は上海には数回しか訪れた事がないし、今回も短い滞在。


それだけですべてがわかる訳では、もちろんないと思う。


よい所も、素敵な笑顔の人ややさしい人も、綺麗で明るいものも、


もちろんたくさん、たくさんある。



でもやはり、胸が痛くなる風景があって、はじめて上海に行った15年前と


変わらぬままの場所は、そのままだったようにも思う



訪れるたびに感じる違和感は、異国のせいなのか、滞在日数の


少なさのせいなのか。


自分にもわからない。


なにを思っても、きっと止まらないであろうスピードで進む上海。


なにがそう思わせるのだろう?



ひとりごと。 | コメント(1) | トラックバック(0)2006/08/25(金)00:13

ゾウのおなかの中でみた景色。

夏休みがも残す所すくなくなってきている。


娘はどっちにしても毎日学童で学校にいっているので大差はないようで、


学校が始まる事自体苦痛ではないらしい。うれしいくらいだ、と言う。


すごいと思う。私はそうじゃなかった。8月も20日を過ぎると気分がが悪くなった。


夏休み明けということに関わらずだったけれども。


学校が嫌いという訳ではなかったと思う。


学校に行く事が当たり前と思えずに、働いた分だけお金がもらえるアルバイトと違って


逆にお金を払ってまで行く場所に意味が無いように思い込んでいた不熱意な子供だった。


小学校も中学校も高校も。よくサボった。かなりサボった(笑)。


高校が一番ひどかったと思う。家を出て、電車か自転車で学校の近くまで行くのに


学校には行かなかったことが多かった。


学校近くの手作りパン屋にいってパンを買い、ゾウ公園ばかりに行っていた。



ゾウ公園は私がただそう呼んでいただけだけれども、


神社の境内の横にあって大きな楠がうっそうとした感じで影を作ってぼんやりと暗かった。


その中にぽつんと、石でできたグレーのゾウの滑り台のあるだけ。


(あるいはそれ以外のものは私の記憶にはないだけかもしれない)ちいさな公園は


いつもほとんど人がいなかったように思う。記憶の中に人はいない。


ゾウの滑り台のおなかの部分はトンネルのようになっていて、ひんやりしていた。


ちいさな土管のような感じ。


私はそのトンネルの中に座り込んでよくパンを食べて、本を読んだ。


友達と一緒の時もあったけれど、たいていは一人で。


高校時代を思い出すとまず浮かび上がるのは、


ゾウのおなかのひんやりとした石の冷たさと、外から聴こえる反響する音や、


ロンドンの粉砂糖がいっぱいついたあんドーナツと、その油がいつもついてしまう文庫本。


トンネルから見える縦に丸い切り取った景色。


空の青、楠の緑、神社の鳥居の赤、土の薄茶色。


修学旅行のことなんて何も覚えていないくらいそのすべては記憶力の悪い私でも、


その事はかなり鮮明に覚えている。


なのにでも、とても残念だけれど、そこで高校生の私が何を思って、


何を感じて、何を考えていたのかはよく覚えてない。



高校3年の3学期に、美術と現国以外の教科の出席日数危険宣告を各先生から受けた。


担任によると3年の3学期の時点で高校生活総合で100日休んでいたらしかった。


びっくりした。高校2年から週2回通っていた美術の専門学校や


ファーストフードのアルバイトは休んだ事なかったのに。


ちりも積もればだなぁと感心したような気がする。


その証拠にそれまで誰も私の休んでいる事に何も言わなかったから。


親も知らなかったと笑っていた。


それから毎日学校に行き、放課後は私のような人達の為の補習を受け、


グラウンドを何週も走った(体育の単位が一番危なかった)のをぼんやり覚えている。


ゾウ公園の次に浮かぶ高校の思い出(のようなもの)。


なんとか卒業はできたが、それ以来ゾウ公園には行っていない。



なぜそんなことを思い出したかと言うと、夏休みの終わりのせいもあるけれど


きっと昨日、川上弘美の「光ってみえるもの、あれは」を読んだからだ。


高校生の男の子が主人公。なかなか複雑で面白い家庭で育った彼は、


くるくると頭の中で考えることと言葉が繋がらない。


言葉が発する意味を恐れる。発した言葉の責任を恐れる。


家族(祖母・母・生物学上の父親)にも、なにかを打ち破ろうとする友達にも、


かわいい彼女にさえも。


でも彼はただ、いろんなことがわからずに自信がなかったのかもしれない。


「自分が生まれて、生きていく意味を考え、愛され、愛する事の意味を考える」、


ということを「考える事」として捉えるようになる事を、自分の中を探していたのかもしれない。



私もそんな風だったのかなぁと思った。


生きていく意味を探す事を、探していたのかもしれない。


残念ながら私は、彼のようにそれを打破する何かを感じることなく、


自分のなかに、「ぼやぼや」したものを持ったまま高校を卒業してしまった。


のちに私を1冊の本が、「ぼやぼや」したもの打破しようとする気持ちに


気がつかせてくれたのは20歳の時だった。


もう少しそれが早かったらなにか変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。


気がついても、それを実践しなかったようにも思うから。



本の中の彼は、これからなにかを探していくのだろうなぁと思う。


しんどいだろうけれど、いいな、と思う。


高校の時の私が、この「光ってみえるもの、あれは」を読んだらどう思っただろう。


自分の中の高校生の私が何を考えていたのか、自分の事だけれどまったくわからない。


ひとつ確かなのは今の自分が、昔の自分と話をしたら


たぶんかなりムカツクのは間違いないと思う(笑)。


それに言えることはきっと多くない。


でも、ただ一言、彼女にこれだけは言ってあげたい。


「きっと大丈夫。」


それくらいしか、今の私はまだ言えないし、今の私もそれを信じたいから。










光ってみえるもの、あれは光ってみえるもの、あれは
川上 弘美 (2003/09/10)
中央公論新社

この商品の詳細を見る


本。 | コメント(4) | トラックバック(0)2006/08/20(日)10:34

薄い月。


おいしいお酒を飲んだ帰り道、薄い月が見えた。



月は黄色く、薄いくせに大きかった。




おさえても、おさえても、か。


 



詠う様に幸福に、ひとりごとを言って見る。



月がついて来てくれてるような


静かな夜のいつもの道で。



ひとりごと。 | コメント(0) | トラックバック(0)2006/08/18(金)01:17

自分の中のらいおん。


ちいさい男の子「ラチ」。


ラチは、とても臆病で怖がりで、友達と遊ぶ事さえできないでいる。


強いライオンに憧れてはいるけれど、それは絵に描いたものでしかなくて。



そこへ突然現れた「らいおん」。


それは憧れていた獰猛で強いライオンとは違って、


とても赤くて小さい可愛いらいおんだった。


ラチはそのらいおんをばかにする。よわっちいから。


だけど、その小さいぬいぐるみのようならいおんはとてもとても強い。


ラチは驚き、らいおんは言う。



「どうだい、ぼくは つよい らいおんだろう。


きみもつよくなりたいなら、ぼくがつよくしてやるよ。」



ラチはそのらいおんの言うとおりに色々行動する。


体操したり、女の子を助けたり。


ラチのポケットの中に入って、いつもラチを怒り、励ます。


ある時ラチはいじめっこに困っている友達を助けようとする。


目覚しい進歩!ぽけっとにいるらいおんがいるから。


いじめっこをやり込め、ポケットに手をいれるとそこには赤いりんご。


らいおんがいなくても勝てたと喜ぶけれど、


らいおんのことが心配になる。


慌てて家に帰ると、そこにはらいおんからの置手紙が。


 




子供はもちろん、大人と言われる人でさえ、いや、大人だからこそ


心の支えが必要な時がある。


親子、友人、夫婦、仲間、恋人。


それぞれのそれらがそうなってくれる時がある。


そこにいるということでなく、そばにいるということでもなく、


分かり合い支えあっていると不思議とその距離感はないのかもしれない。


人は弱い。それらのものによって更に弱くなってしまうこともある。


だけれども、それらのものが、何よりも心を暖かく強くしてくれることも多い。



ラチはらいおんのおかげできっと強く生きていける。


いなくなって寂しいと思うけれど、そこで過ごした事は自分の中にあるから。



今日も空が青い。夏のとびきりの空。


こんな日にお休みなことはとても幸福。


心から。


自分にとってのらいおんを想い、自分がらいおんになれているか考える。


そんなお盆休みの朝。








ラチとらいおん ラチとらいおん
マレーク・ベロニカ、とくなが やすもと 他 (1965/07)
福音館書店

この商品の詳細を見る


絵本。 | コメント(4) | トラックバック(0)2006/08/15(火)00:11

«  | HOME |  »


プロフィール

rie。

Author:rie。
本と絵本と、
空を見ることが好きです。

カレンダー

07 | 2006/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近のトラックバック

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。